私にとって毛沢東と言えば、エドガー・スノーの「中国の赤い星」や、本人が書いた「矛盾論・実践論」「新民主主義論」を通して、日本帝国陸軍を中国全土から追い出し腐敗した国民党を倒して中国を統一した英雄であった。
隋の煬帝、秦の始皇帝に匹敵し、文化大革命の最中の毛沢東批判も、彼の成し遂げたものに比べたら些細なものだと思っていた。この本を読むまでは!
本の名前は、毛沢東の主治医であった李志綏(リチスイ)が書いた「毛沢東の私生活」である。読書後、私の毛沢東観は百八十度変わらざるを得なくなった。正直、笑ってしまったのだった。毛を取り巻く人間模様と独裁者が陥る孤独が良く書かれている。毛の統一後の生活は、簡単に言ってしまえば、猟色と読書、そして権力闘争である。
著者は毛の傍らにいて、その一部始終を見てしまうのである。まず、毛は自分で考えた机上の空論である「大躍進」を国の第一政策にしてしまう。反対する幹部は、自殺や閑職に追い込み、地方に飛ばしてしまうのである。
その「大躍進」とは、粗鋼生産で英国を抜いて米国に次いで世界第二位になることであった。ところがその中身は、まったく何を考えたのか、人民公社や村単位で溶鉱炉のような釜戸を建て、鉄を作りだそうとするのである。原料は鍋や鎌、あるいは家庭の鉄製品なのだ。しかも創った鉄は捨てる以外に使い道がない代物であった。
毛はしきりに人々に競わせるのである。このため農地は荒廃し大飢饉が訪れる。約三千人が餓死したと言われている。このため幹部連中の受けが悪くなり、権力が弱まると今度は性懲りもなく国を大混乱に陥れる「文化大革命」を仕掛けるのである。
「造反有理」の掛け声とともに「階級敵人」として、知識人や幹部連中のみならず、役職についている人は殆ど皆「毛沢東語録」を持った部下たちや下級労働者たちから批判され、挙句の果ては理由もない理由で処刑されるのである。運がよければ僻地の開墾地に流された。
権力奪取に成功したものの、この驚天動地の混乱で約三百万の人が亡くなったと言われている。著者も毛から幾度となく聞かされている、国が発展する為なら「人民の命など鴻毛に等しい」と。だが統一してからの毛の成業は、国を地獄にしただけであった。
当時の中国の人々の苦しみは、ユン・チアンが書いた「ワイルド・スワン」に詳しい。そして、困ったことにこの思想は、カンボジアのポルポト派に引き継がれて、同じように大量虐殺を生むのである。今の中国が主張する「正しい歴史認識」など、戯言である。
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結局のところ、毛は「革命」あるいは「時代の変革」の中のそれぞれの節目で、時代が要求する人間は変わるということを理解してなかったのである。毛は良くも悪くも革命家であったが、自分の役割が終わったことに気付かなかったのだ。時代が求める人間については、司馬遼太郎や安岡正篤の書籍の中で良く述べられていることである。現に、ソビエト連邦を崩壊させたゴルバチョフは、今も政治活動をしていると聞くが、表舞台に出てくることはない。革命の嵐の後は、プーチンのような実務型のリーダーが必要なのだ。
おっと、前置きが長くなってしまった、毛の入れ歯である。著者が毛の主治医になった頃、白血球が多いことに気がつく。原因がどうしても分からないため、口腔内を北京医科大学歯科の張博士の協力を求め検診した。すると歯周病だと診断され、原因歯は抜歯された。暫くの後、白血球は正常になった。
著者は毛の医者嫌いに悩まされ続ける。この時も張先生と一緒になってブラッシングを勧めるのだが、頑として聞かないのである。おまけに以来、著者以外のDrの診療は拒否してしまうのだ。このため著者は歯科の勉強も強いられるのである。
だが結局、毛は上顎が無歯顎になってしまう。もともと中国の農村にはブラッシングの習慣がなかったのだそうだ。毛は食事後、お茶で嗽をするだけだったのだ。そして信じられないことに入浴もしないのである。ただ付き人に体を拭いてもらうだけだった。
毛は数少ない下顎の歯と上顎の歯肉で食事をしていたのである。入れ歯など作ろうとも思わなかったのだ。太った顔と分厚い唇が、この貧相な口腔を隠していた。
歯周病の患者の口臭は、何とも言えず臭いものである。毛も体臭とあいまって周囲の人々に(特に毛が見初めた女性達は苦労しただろう)臭いでも迷惑をかけたに違いない。千数百ページに及ぶ本の中に、歯に関するページが五~六ページもある。歯では相当苦しんだのだった。
でも自業自得なんであります。
「食事の後はブラッシング!!」 毛沢東はもうたくさん!!
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