五十の坂を越えた我々は、ようやく落ち着いて人生や社会を眺められる年齢になった。先に、自分自身の死生観、歴史観、健康観を持つことは、特に中年以降の我々には必要なことではないか・・・と書いた。今回は歴史観について、まとめてみたいと思います。
まず、歴史とは何だろうか? 英国の高名な歴史家E・H・カーは、同名の書(岩波新書)で、「歴史とは歴史家との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることのない対話である」と述べている。だから歴史観とは、過去と現在そして未来を考える基本的な読解力あるいは哲学と言える。
歴史観が語られるようになった時から、それをどう解釈するか、つまりどのような歴史観を持つべきかが議論されてきた。たとえば、聖書に見られるユダヤの歴史は、エホヴァとの契約を破棄した報いの災厄の歴史として解釈されている。マルクスは歴史が唯物弁証法に支配されていると見たし、マックスウェーバーは宗教と官僚制の傾向により支配されると見た。だが、ツュペングラーに代表されるように歴史を成長と衰退の枠組みで考える歴史家が多い。
とまれ、今から約三十年前、私は某高校の三年生だった。世界史を勉強していた私は、殆どの文明が殻興し衰退していくことが不思議だった。しかも隆盛を誇った文明が衰退した地域は後進国になっているのである。
ある日、教師に尋ねてみた。「文明とは人間と同じように生まれ、成長し、滅亡していくものではないのか。一度滅亡すると、昔の栄光は取り戻せないのではないか?」くだんの教師は、木で鼻を括るように言った。「そんな馬鹿な事はない。それより、さっさと年表を覚えろ!」。このやりとりを聞いていた友人達の冷笑が、劣等生の私にはなんとも応えたものだった。それ以来、歴史書、とりわけ「衰亡論」についての本は、かたっぱしから買い集めている(全部呼んでいるわけではない)。しかし、この歴史の教師は不勉強である。少しでも歴史を学んだ者なら、文明の衰亡や未来が歴史家を悩ませている命題であることは、すぶに気付くはずである。それに、生徒の疑問に思う姿をないがしろにする教師は、教師たる資格はない。
さて、歴史観を考える時、この文明の衰亡をどのように捉えるかがポイントになる。「西洋の没落」((I)(II)五木書房)を書いたドイツの歴史家ツュペングラーは、あらゆる文化形態を比較して・・・学識の深さに圧倒される・・・。文化というものは、一つの生命体であって、生まれ、成長し、老いて死んでいくという文明の没落論を展開した。
彼は未来を予言する。文化は文明になり、故郷がなくなってメガロポリスが発達する。それから大戦争が起こる。人類を滅亡させる兵器が発明され、貨幣が思想を支配する。そして、西洋文明は二十一世紀に滅びる。
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彼がこの歴史論を著した時代は、第一次世界大戦の終わる頃だった。その後の歴史を見ると彼の考えは、かなり的を得ていると思う。その当時も賛否両論があったのだが、その後の歴史家はツュペングラーの「没落論」を超えることに苦労した。英国の歴史家のアーノルド・トインビーもその一人である。トインビーは悩んだあげく、東洋哲学の「易経」に出会った(「易と人生哲学」安岡正篤著)。
(2003年5月10日発行 長崎保険医新聞 掲載)
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