先日、テレビでイラク戦争のニュースを見て大変ショックを受けた。米兵達がイラク市民の家宅捜索をしているのであるが、庭にその家庭の住人と思われる両親と四、五歳ぐらいの幼い兄弟が、米兵の銃口のまえに座らされホールドアップをしているのであった。子供達は涙を溜めて恐怖で顔が引き攣っている。子供達の怯えた顔が可哀相で仕方がなかった。そして、このシーンがこの戦争の本質を表していると思った。
オジサンの人生五十四年間の聞き知った戦争の中で、こんな訳の分からない戦争ははじめてである。独裁国家ならいざ知らず、民主国家の代表格の米国が国連安保理のメンバー十五カ国中十一カ国の反対を押し切って「この不条理な戦争」を断行したのである。戦争が国と国との死力を尽くした戦いとするならば、とてもこの戦争は戦争とは言えない。圧倒的な火力、兵力と高度のハイテク技術、おまけに事前に国連査察団によりミサイルなどの大型兵器は破棄させられているのである。単なる一方的な攻撃だ。侵略である。先ほどのテレビのシーンが象徴している。
米国は、この戦争はイラクの細菌や毒ガスなどの大量破壊兵器を見つけ出し、破棄させるための戦いであるとした。だが、国連が調査しても、当事者達を詰問しても何もないのである。いつの間にか、ラムズフェルド国防相も、この話題を避けるようになっている。テロ組織アルカイダとの関係では、完全な言い掛かりである。フセインの側近のアジズ副首相は、キリスト教徒であるように、フセインとアルカイダは敵対関係であった。イラク国内で「イスラム原理主義」を布教すれば、即「死刑」との法律もあったのだ。米国の主張は、素人も分かるほどのウソ八百である。
では何故、米国は戦争をするのか。以下はオジサンの考えである。米国は戦争をせざるを得ないのだ。世界一の軍事力を持ち、そしてそれを支える軍需産業が育ってしまえば、常に獲物を捜さねばならないのだ。東西冷戦が崩壊した今、ビジネス先を捜さねばならないのだ。歴史を紐解けば、軍事国家は殆ど同じように戦いを求め続けていたことが分かる。かのローマ帝国、ナポレオン、そしてヒトラー、日本帝国など戦争によって地位を確立し戦争によって亡んだ。米国は、ケネディ暗殺後ベトナムに介入して膨大な軍事費と生命を失った。得たのは、軍需産業が大きくなっただけである。ベトナム戦争以後も、パナマ侵攻、ソマリア・コソボ紛争、湾岸戦争など枚挙に遑が無い。そして今回のイラク攻撃を意図したブッシュ政権には、悪いことにパックス・アメリカーナを目指すPNAC(Project for New America Century)のメンバーが多数居るのだ。二十世紀は戦争の歴史と言われるが、これから先の二十一世紀を考えても、暗澹とした気持ちにならざるを得ない。世界の指導者ブッシュが凡庸な男であることは、二十一世紀の不幸である。戦争はこれからも続くのだ。
この世界は服で変えられると信じています
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九月十一日の同時多発テロの主な原因は、パレスチナでのイスラエルの横暴にあると思う。パレスチナの若者や中東の若者にとって、イスラエルの後ろ盾の米国は、憎しみの対象なのである。フセインを倒しても、テロはなくならない。米国は、中東という泥沼にはまってしまったとオジサンは思う。
(2003年5月10日発行 長崎保険医新聞 掲載)
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