前回、中年論として一般的なことを述べてみました。今回からは具体的に日頃考えていることを、整理する意味で書いてみたいと思います。
我々ちゅうねんは、人生の折り返し点を過ぎ残りの人生を生きていく上で、三つの考え方を持っていることが、大事だろうと思います。
(1)死生観 (2)歴史観 (3)健康観 の三つです。私はこれら三つの考えを持つことを「三観王」と称しています。
まず、「死生観」です。五十を過ぎると、否応なく「死」の影が見え隠れします。生きるのが当然、といつしか思いこんでいた自分に「親」「近親者」「友人」などの「死」が、非常な現実を突きつけます。それでも、葬式が終わり喉元を過ぎると、日常の些事に追われて、自分が「死ぬ身」であることを忘れてしまうのです。
周りを見ても「死」を忘れてしまうのは、私だけではないようです。今まで、自分なりの「死生観」を持った人にあまり会ったことはありません。もちろん「死」について語り合ったことは、殆どなかったこともありますが。
いずれにしろ、我々は「死」を忌むべきものとして考えているようです。しかし数年前に友人の突然の「死」を経験して、「死生観」を持たねばならないと真剣に考え始めました。役入りの四十代の頃、むしろ無宗教の私は、本を読むうちに「死生観」を自分なりに持つ必要があるなとは思っていました。中年になると、たった今この世を去ることになっても、おかしくない年齢です。我々は自分なりの「死生観」を持つべきではないでしょうか。
ロシアの文豪のドフトエフスキーは、若い頃、反逆罪で牢屋に入れられます。ある時、刑務所から「おまえはあと五分後に銃殺する」と告げられました。その時、彼は最初の二分間は「友人に告別を」、次の二分間を「自分のことを考える」、残り一分間を「周囲の光景を眺め見納めにすることに使おう」と思った、と実際の体験を小説『白痴』の中で、主人公に語らしめています。結局、「自分が死ぬ」ことに対して答えが見つからなかったと述べています。
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─『もし死ななかったらどうだろう?もし命を取りとめたらどうだろう?それは無限だ!しかも、死の無限の時がすっかりおれのものになるんだ!そうしたら、おれは、一つ一つの瞬間を百年に延ばして一物たりともいたずらに失わないようにする。そしておのおのの瞬間をいろいろ算盤で勘定して、どんなものだって空費しやしない』─
ドフトエフスキーは、寸前で死刑執行が中止され、シベリア流刑となります。彼にとってこの五分間は、貴重な時間であったに違いありません。彼は「死」を「覗き込む」ことで「生」を実感したに違いありません。「死」は「生」の鏡なのです。モリス・シュワルツも「いかに生きるべきかを学びなさい。そうすれば、いかに死ぬべきかがわかるでしょう」(モーリー先生の最終講義)と書いています。これからの「死」を避けることなく、正面から見据え、覚悟をしたいと思います。
次に歴史観です。目の前にある、事象に振り回されることなく、時代を俯瞰する目を持つべきであると思います。歴史学者のトインビーは、「文明は人間と同じように誕生、青年期、成熟期を過ぎ、ついに老年期に至る」と結論付けました。同様に、「大国の興亡」の著者ポール・ケネディも主に経済と軍事面から、ヨーロッパの国々や米国を観察し歴史の法則性を強調しています。
では、日本は今衰退しつつあるのでしょうか?日本や目の前の出来事を世界の中、そして地球レベルで考えることは大切です。
最後に「健康観」です。私達に教えられた西洋医学は、主に「感染症」に代表される外来因子による疾病に対する対処が主であり、生活習慣病といわれる成人病に対しては十分でなかったように思います。人間は自然の一部であり、宇宙の法則の中で生きているという事を、もう一度噛みしめるべきです。中年はこの宇宙の森羅万象にそって、経済論理で生活している自分自身の生活を見直す年齢だと思います。各人の環境に応じた健康の在り方や方法を自分で確立して、寝たきりのない所謂「健康老死」を目指すのです。
以上、次号からこの三観を順次書いていきたいと思います。世間には、これらについて書いてある古来から沢山の素晴らしい哲学書や宗教書があります。でも、自分の人生は、自分のものです。恥ずかしさもありますが診療室で一服している時に考えたことを述べたいと思います。
(2000年3月10日発行 長崎保険医新聞 掲載)
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